夜明け前が一番暗い
高橋優 / 希望の歌
質問箱よりリクエストしていただきました
ありがとうございます
今回も好き勝手に語らせていただきます
※ずっとこの一文を書くのを忘れていましたこれから書きます
高橋優って墨の字で書いてあるような曲。
初めて聞いたとき「あれ?以前どこかでお会いしましたか?」みたいな気がした。タイアップは特に付いていなかったみたいなので、どこかの場面で自然と耳に入って残っていたのかなぁ。
初期橋優さんの代表各の一つ、と個人的には認識しています。この曲に限らずですが初期の「やるしかないんだ!突撃だ!いくぞー!」が溢れる高橋優の楽曲の数々、嫌いじゃない、むしろ好き。秋田の地に転がってた眼鏡をかけたゴツゴツした煤けた原石をガンガンガンガン削ってみたら「あ、あれ?なんだか綺麗な光り輝く綺麗な石が見えてきたぞ?」みたいなこの感じ、無限の可能性を感じてワクワクが止まらんよ。
「ひとつのこと」を続けるのってものすごく大変だし辛いし誰もが出来るわけじゃないし、周りや世間から、時には自分自身から投げ込まれる尖った言葉や出来事に曝され続けて傷付いたり休憩したりしながらその道なき道を進み続けるってもうそれ自体が「才能」だと思うんですよ。わたしは三日坊主もビックリして腰抜かすくらいの堪え性が無くてのび太もビックリして倒れるくらい打たれ弱くて、あの頃見てた夢は諦めちゃったみたいなタイプの人間なので、この曲聞くと若干の居たたまれなさと後悔と苦手意識がふんわり湧いてくるのです。「いいなこんなに」「貫き通せる気持ちがあって」「羨ましい」………ハッ…いかんいかん…
今を生き抜くにはもう自分を「信じる」しかないんだ、信じていれば今がどんなに苦しくても今立っている道の先が暗くてよく見えなくてもいつか何かが変わるはず。そうであってくれ、みたいな。この場合の「希望」っていうのは望みっていうよりこの人の「願い」みたいなものに近いように感じる。こうであってくれ、こうでありますように。みたいな、神頼みのようにも聞こえる。もちろん自分自身から溢れる「自信」とか「力」はあるけれど、自分を信じてはいるけれど、それでもそれでも、ふとした瞬間に「神」という不確か実体のない存在に頼ってしまう…それくらい苦しくて暗い今もいつか眩しくて目が開けられないほどの光で満ち溢れていきますように…!
明るい時ばかりじゃなかったでしょう、そんな時の高橋優のことを思うと、今の高橋優のことを思うと、この人だから歌える曲なんだと思うしこの人だからこそ説得力が半端ないのです。
???「 高橋ハンパねぇって! 」
苦しくてもがいてるけど決して諦めない、それでも辿り着きたい夢があるから。最後は暗闇が朝陽で少しづつ照らされていくようなような感覚。
自分を信じ抜くために、
歌おう「希望の歌」を。
▶︎この曲について、このことについて本気出して考えてみてくれ等のリクエスト、感想、その他諸々なんでも、両腕を広げて待ってます。質問箱までお送りください。優しい言葉でお願いします