CANDY

愛はどんな味でしょうか? Twitter:@to_darui

気持ちを忘れないための記憶レポ

 

 

スモックで包まれる会場、アナウンスで「始まり」が近づいていることを知らされる。暗転、人々の歓声、痛いくらい心臓が跳ねたその瞬間、光とともにステージに現れるその人。この時間と独特な高揚感がたまらなく好きだ。

ステージ上にたった1人、ギターを背負って歌うその姿を目の当たりにした瞬間路上時代の彼に想いを馳せた。その時代のことはよく知らないし見たこともないけれど、ギターと己の声だけで目の前にいる人に歌を届けようとしているその姿は苦しくなるくらい輝いて見えた。

 

 

「俺やっぱり路上出身だから、「一対何千」とか思えないんだわ。今もこんなに大きな会場でやらせてもらったりしてるけど、目の前に居る一人一人に向けて歌ってるつもりっていう気持ちは路上時代からずっと変わってなくて。それはこれからもずっと変わらない。

この会場にいる一人一人、「あなた」に向けて届けるつもりで歌っています。ここにいる人全員のそれぞれの事情とかは分かんないけど、せめてこの時間だけでもみんなが幸せになれたら、笑顔になれたら、いいと思う。」

 

そんな綺麗なこと言ってるけど実際そんなことないんじゃないですか?と思う人もいるだろうけど、この人は本当に心からそう思い、実行している。一度でも高橋優のライブに行ったことのある人なら共感してもらえると思うけれど「あなた」に届けようとしていることも届いていることも誰が見てもわかることが凄い。

「今…私でしたか?」と思う瞬間があったとしてそれは多分勘違いじゃなくて本当に「あなた」なんだと思う。綺麗事なんかじゃない、贔屓目でもない、誰一人として置いていかない、あの人は今までもこれからも本当にそう思って毎ステージ立っているんだろう。

 

▷‪freestylestroke‬

水泳競技の「自由形」という意味

「最近サブスクリプションが解禁されて昔の曲から最新曲まで全てを誰もがお手軽に聴けるようになった。

そして今年デビュー10周年というこのタイミングで、昔の曲を今演奏したらどんな風になるんだろう?新しい曲を自由に演奏したらどうなるんだろう?というツアーコンセプトのもとこういうタイトルを付けさせてもらった」ということだった。

昨年20周年を迎えたポルノグラフィティのアニバーサリーツアーで彼らも同じようなことを言っていた。売れた曲、有名な曲、アルバム曲からカップリング曲まで全てがネットの世界で横一列になって並ぶサブスクリプション解禁というものはどのアーティストにとっても大きな変化点になったんだと思った。

CDの売り上げが落ち込んできて代わりにネット配信が主流になりつつあったそんな音楽の世界が劇的に変わり始めていた中でデビューした高橋優というアーティストが、自分の立ち位置と自分の音楽を生み出し魅せ続けることの苦しさとか試行錯誤みたいなものも感じた。今の「音楽」の価値って一体どうなってるんだろうか、なんて。

 

 

そんな10周年ベストツアーと銘打っているライブのセットリストを確認してみるとまた面白い。「福笑い」「同じ空の下」「太陽と花」「ロードムービー」…所謂、王道曲の多くが存在していない。様々な音楽アプリのアーティスト別オススメランキング上位に居そうな曲を敢えて外してきている。

個人的には明日はきっとな歌も外したらもっと面白かったんじゃないかと思う所もあるけれど王道曲が必要な場面というものがある事も理解しているので。とにかく、王道曲に囚われること無く組まれた挑戦的とも言えるセットリストが物足りなかったのかと問われるとそれは食い気味に否定したい。物足りないなんて気持ちは微塵も湧いてこなかったし寧ろ溢れて止まらないくらい満たされた気持ちになった。王道曲に頼ることなく「高橋優」の10年間を、ベストを表現することが出来るだけの底力に震えた。まさに自由形だった。

 

 

「「燃え尽きた」ってよく聞くと思うけど、俺は燃え続けることが大事だと思う。でも、ここでせっかく火を燃やしても一歩外に出ると、水を差してくるようなことで溢れてると思う。明日職場や学校で水を差してくる人が居るかもしれない。俺も今まで何度も水をかけられて何度も火を消された。

でも何度消されても大丈夫、火は何度でも点けられるから。もし、明日からの日々の中で誰かに火を消されたら今日こうやって燃え上がったことを思い出して。たとえそれが小さな火でも僕とあなたの火を合わせれば大きく燃やせる、そうやって大きくした火をこれからもずっと延焼させていけたらと思います。」

 

こんなこと思わないし思えないから私は私なんだと思ったし、こう思えるから高橋優は高橋優なんだろうなと思う。こんなことを書いたら多方面から刺されそうだけれど、良く出来た人間とか凄い人とかそういうカテゴリーの中にはいなくて良い意味で「完璧じゃない人」だから好きなんだと思った。この人自分か?と思うポイントがいくつもあってそれが心に刺さって共感や同調になって希望や憧れに変わる。

自分と似ているからこそ嫌悪する時もあるけれど、自分と似ていて全然違うからこそ彼の背伸びも無理も遠慮もしていない等身大の言葉に惹かれたり勇気つけられたり涙したりするんじゃないだろうか。その不器用さや不完全さに自分を重ねてその強さに魅力を感じて惹かれているんだろうな。

 

「君ではダメだ」と言われてしまった時の高橋優も、「悔しくて眠れなかった」時の高橋優も、この瞬間を想像出来ていたのだろうか?彼の「今」という全てがその時想像していた光景よりも素敵で綺麗な瞬間になっていたらいいな。高橋優という人の全てが肯定されていく為の道の一つにでもなっていたら、いいな。

 

高橋優がこれからも音楽という大きな海で自由に泳ぎ続けられますように。そしてそれをずっと追い続けていけますように。

 

 

 

 

 

どんな壁にぶち当たってもまた立ち上がれるよ、

僕らの旅は始まったばかりなんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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